イラスト:更新が滞るといったなあれは嘘だ
2011
「りょうの!?紅楼夢原稿をしてるんじゃ……!?」
「残念だったな、トリックだよ」
いや原稿しろよ。
はい、そういうわけで。
なんか最近原稿しなきゃいけないはずなのに落書きが捗ってやばいです。絵を書くのが死ぬほど楽しくて逆に生きるのが辛いレベルです。なんかもう駄目かも解からんね。
このままの勢いに乗って文章もガシガシ書ければいいんですけどねーやっぱ中々難しい。
絵を描くこと自体に手を抜いたりはしてないですが、それでも絵を描くっていうのは気楽さがあります。それは多分、ある意味では自分が作品として完成させてないからなのかもしれません。
がしがしとノートの上にラフ書きをして、それを線でなぞって色を塗って。
作業的な要素が強いというのもありますが、それらで完成していく過程を自分で見つめる楽しさもあります。
ですがそれ以上に、文章に強い完成の形を求めてるのがあるのかもしれません。
下手くそでも書かなきゃ上手くならないと思い込んでる絵。
中途半端に書き続けてるせいか、次こそは次こそはと躍起になっている小説。
別に、大したことじゃないはずなのです。
僕らが書く小説なんていうのは、所詮自己満足。それ以上のものは求めちゃいけないはずなんです。
実際に絵を書いてたってコメントが付いたり反応がもらえることなんて数少ない話だし。
小説なんてものも、それが当たり前で然るべきなんです。
反応のために書き続けるんじゃない、自分が自分を表現するために書き続けてるだけなんですから。
それに何をかっこつけようとしてるのだろうか。なんかもう恥ずかしい話。
どんだけカッコつけたところで、自分は自分です。
自分に書けるものは、今書けるものでしかありえない。書けないものを書くことはできない。もしそれを書こうと思うのならば、それを書くための何かを取り入れて、学び、努力を積み重ねなきゃならない。それもしていないくせに、その何かを書こうなんて。
甘えが過ぎるんですよ、自分は一々。
まぁ、解ってるならやれ、といったところでしょうか。
ぐちぐち言ってないで行動起こさないとね。口だけなら人はなんとでも言える。
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お絵かきの方。
バハムートラグーンを最近友人の家でやりました。
いや、前々からやりたかったのはあったんですがね。
昔プレイしたかったのですが、子供の頃の僕にはわからないゲームだったので改めて友人の勧めで合宿プレイを行いました。寝る時間食う時間以外はずっとゲーム。どんだけ恵まれた環境だよ。
そんな感じで丸二日程費やし、無事クリアと相成りました。
や、やはりSFC末期の傑作と言われるだけ会って非常に面白かった。
よくヒロインについて話が挙げられますが、それを差し引いても非常に良いゲームでした。
あんなに面白いシステムとストーリーを組んだゲームが、今から十七年も前に生まれていたんだなぁと思うと感慨深いものがあります。今のスクエニを槍玉に挙げるつもりはありませんが、当時のスクウェアのゲームっていうのは本当に面白かったんだなぁと改めて認識。
そんな感じで、たぶん今一番バハラグのお気に入りであるアナスタシアと、それの付属品恋人のバルクレイをば。
アナスタシアがどんどん理解を深めるに連れて恋を知っていく所が非常に良かったですね。バルクレイもまた同じように色々と知っていく感じが非常に見てて微笑ましいものでした。
フレデリカの事をよくヒロイン説流してる人はいますが、それはさておいてアナスタシアが可愛かったということで。
バルクレイ×アナスタシアの薄い本オナシャス。
アナスタシア誘い受けで。